REPORT

2025.11.12

僕の人生の1/3は東北ユースオーケストラでできている。

#東北ユースオーケストラを続けたい

このレポートを読んでくださりありがとうございます。
東北ユースオーケストラはみなさまのご支援によって成り立っております。 活動に対する寄付・募金については随時受け付けておりますので、ご協力の程よろしくお願いいたします。


いつもレポートを読んでくださっているみなさま、どうもこんにちは。
9期から10期までキャプテンをしていた、福島県出身、大学4年生、トロンボーンパートの海津洸太です。

今回のレポートでは、僕が東北ユースオーケストラの団員として過ごしてきた日々について、少しでも多くみなさまにお伝えできればなと思っています。


東北ユースオーケストラ 1年生

まず、僕がどのようにして東北ユースオーケストラに入団したのか。

それは、母の勧めでした。と言いたいところですが、母親に勝手に入れられていました。
それを知ったのは、僕が入団した3期のキックオフの前日。

母から急に、
「明日から東北ユースオーケストラのメンバーになるから、しっかり練習するんだよ」
僕はわけがわかりませんでした。

ちなみに、こういったことはよくあり、これまでに、プール、ピアノ、絵画教室、習字、体操教室、幼稚園塾など、小さい頃から様々やらされてました。まあ、どれも続かなかったですが....

その当時の僕は、非常に人見知りで、知り合いが一人もいない東北ユースオーケストラに急に入れられて、ものすごく戸惑ったことを今でも鮮明に覚えています。
事務局の田中さんが一人ずつ自己紹介をしましょうと言い始めたとき、僕は緊張で絶望しました。

新しいコミュニティでの友達作り、それが東北ユースオーケストラに入って最初の試練でした。でもなかなかうまく友達を作ることはできませんでした。

夏合宿で沖縄に行った際は、年代の近い友達がなかなかいなかったため、同じトロンボーンパートの大学生にしれっとついて行っていました。

その節はどうもありがとうございました。

そういえば、沖縄の合宿ではBBQもしました。
その時、大学生だったトランペットの中村さんに初めて声をかけられたんですが、僕は入ったばっかりで、元気でノリノリだった中村さんのことが怖かったので、盛大にガン無視してしまったのは、鮮明に覚えています。

↑黄色いシャツを着ているのが中村さん。いや、ほんとにその節は申し訳ございませんでした。そして、中村さんは最近ご結婚なさったらしいですね。おめでとうございます!


友達ができ始める

そんなこんなで、1年目の前半はなかなか友達もできず、東北ユースオーケストラの練習に行くのがなかなか億劫だったんですけど、転機がやってきます。

それは、連日続けての合同練習です。

連日続けての合同練習の際は、福島市以外から来ているメンバーはみんなでお泊りになります。そこで、1期生ホルンパートの奏良くんと初めて話せるようになったんですね。
ちなみに、奏良くんのことも入団当時は怖いと思っていました。

彼は、自分でも言ってますが、TYOの生意気担当なので、年代性別関係なくコミュニケーションをとっていく彼は、僕にとってはずっとはしゃいでいるチワワに見えていました。

彼のレポートはこの前出てたっぽいので、こちらをご確認ください。
なんか、スマホの写真フォルダを漁ってたら、ちょうどその日枕投げをしたときの画像が残っていました。楽しそうですね。

奏良くんと仲良くなってからは、色んな人と仲良くなれるようになって、3月の直前合宿のときには僕の周りにも色んな人が。なんか、僕の首がとんでもなく曲がってますが、友達ができて良かったですね。

みんなと仲良くなる前までは、東北ユースオーケストラはもう続けないって親に言っていたんですが、直前合宿と演奏会が終わったあと、もっとみんなと一緒に活動したい!と思い、中学3年生で受験も控えていましたが、次の年も続けることに。


坂本龍一監督との思い出

それから1年が経ったときの、演奏会で団員が作った曲を発表するといった機会がありました。

そこで、奏良くんから「僕の作品演奏してよ」って言われたので、演奏することに。

しかしながら、東京のオペラシティという大きな舞台でとても緊張してしまった僕は、1発目の音から外してしまいました。
その後は、舞台袖でとっても落ち込みましたね。多分、人生の中で一番の失敗を感じたと思います。でも、そんな落ち込んで震えていた僕のところにある人がやってきました。

それが、坂本龍一監督です。坂本監督は、震えていた僕の手を掴んでくれて、励ましてくれました。

その時監督になんて言われたかはあんまり覚えていませんでしたが、後に監督は「上手い下手じゃない、気持ちなんだ」とよく言っていたと事務局の田中さんから聞きました。

多分、この言葉は僕にかけてくれたものだったのかななんて、今となっては考えたりもしますね。このとき、坂本監督がいなかったら僕は東北ユースオーケストラをやめてたんじゃないかなって思ってます。


コロナ禍

そういえば、コロナが始まってからもう5年くらい経っちゃうんですね。
2020年に、とうとう東北ユースオーケストラにもコロナ禍がやってきて、演奏会が2年連続で中止になってしまいました。
これは、zoomで行われた卒団式の様子です。本来なら、演奏会のリハーサル終わりによくやるんですが、中止になってしまったので仕方ないですね。

よく登場する、だんでぃ〜もちょうどこのコロナ禍のときに卒業したんですね。彼は最近も練習に顔を出してくれてて、写真を撮ってくれます。
ここ数年の、HPに上げてる写真のほとんどがだんでぃ〜が撮ってくれたものって言っても過言じゃないかもです。

僕がキャプテンのときは特に助けてくれました。
いつもありがとうだんでぃ〜。


3年ぶりの定期演奏会

東北ユースオーケストラもコロナを乗り越えて、とうとう3年ぶりに定期演奏会をできることに。しかし、団員たちは毎日コロナ検査を徹底しながらになります。

いやあ、この時期は大変でしたね。
この頃の写真を見ると、マスクしていない人はいないですね。なんか、最近もコロナが増えつつあるので、みなさまお気をつけください。

ちなみに、この頃は僕も大学生になる前の春休みだったので、髪の毛を染めてイケイケですね。
大学生になると、それまで黒髪だった高校生たちが一気に髪の毛を染め始める。
田中さんいわく、これも東北ユースオーケストラあるあるで、一種の文化なんだそう。
僕もしっかりその文化を踏襲しています。


だんだん目立っていく

大学生になり、髪色が変わったせいなのか、東北ユースオーケストラの中で目立つようになってきました。

東北ユースオーケストラには、有志演奏係やクラウドファンディング係といったように、係がいろいろあるんですが、係とは無縁だった僕がとうとう、ロビコン係に任命されました。って言ってもあまり仕事は多くありませんでしたが。

なんか、真面目にちゃんとこなしていった結果、結構褒められました。その時はなんか嬉しかったですね。


気づいたらキャプテンに任命

9期のキックオフ。久しぶりに会った事務局の宮川さんから、こんなことを言われました。
宮川さん「なんか、海津くん大役を任されたみたいだね。がんばってね。」
僕はわけがわかりませんでした。

母に東北ユースオーケストラに入団させられたときくらい、僕はわけがわかりませんでした。

全く身に覚えがなかったため、僕は坂本監督の代わりにピアノを任されたのか、はたまた、戦場のメリークリスマスの拍子木を任されることになったのかななんて思ってました。

そして、とうとう新キャプテンの発表。
誰になるのかな〜なんて思ってたら、僕の名前が呼ばれました。
僕はわけがわかりませんでした。あとから聞いた話によると、事前にキャプテンよろしくお願いしますというメールが届いていたみたいですが。

そんなこんなで、入団して7年目にして、あの友達ができないと嘆いていた人が、とうとうキャプテンになってしまいました。
僕はわけがわかりませんでした。

責任感は結構ある方だと思う自分、大役を任されたからには、やってやるぞと思い、結構頑張ってきました。もし興味がある方は、他のレポートとかぜひ読んでください。


奥山キャプテンに引き継いで。

とうとう僕もキャプテンを新キャプテンに引き継ぐときがやってきました。
それが、この前レポートを出してくれた奥山愛唯さんです。事前には伝えずに、11期のキックオフの際に急にキャプテンを任命してやろうかなとも考えたのですが、流石に事前にお伝えしました。

奥山キャプテンは、ずっとCAMPFIRE communityというクラファンのチーフをしてくれていて、自分もメルマガを書くなど、東北ユースオーケストラにとっても貢献してくれていました。キャプテンになって間もないですが、日々、東北ユースオーケストラのことについて色々考えてくれているとってもいいキャプテンだと思います。

CAMPFIRE communityといえば、ここで僕達が配信しているメルマガが、結構面白いんですね。毎週金曜日に配信されて、奥山キャプテンのメルマガも月に1度配信されるので、ぜひぜひチェックしていただけたらです。

という感じで、引き継いだわけですが、僕もまだまだ東北ユースオーケストラに関わっていきたいななんて考えています。でも、僕ももう大学4年生。就職してしまうと、東北ユースオーケストラを卒業しないといけません。

東北ユースオーケストラは人見知りで何の取り柄もない僕を大きく成長させてくれました。
僕以外にも、東北ユースオーケストラがあったから学校の先生になったとか、音楽家として生きていこうとか、東北出身の子どもたちの人生をも作り上げていく団体となっています。

僕はそんな東北ユースオーケストラを続けたいと思っています。
だから、何らかの形で関わっていければななんて思ったりもするこの頃。

もし、今回のレポートで少しでも東北ユースオーケストラについて興味を持っていただければ幸いです。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

トロンボーンパート 海津洸太


#東北ユースオーケストラを続けたい

このレポートを読んでくださりありがとうございます。
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