もう一つの家。
#東北ユースオーケストラを続けたい
このレポートを読んでくださりありがとうございます。
東北ユースオーケストラはみなさまのご支援によって成り立っております。 活動に対する寄付・募金については随時受け付けておりますので、ご協力の程よろしくお願いいたします。
いつもレポートをお読みくださっている皆さま、そしてはじめましての方も、こんにちは。東北ユースオーケストラ1期生、ホルンパートの菊野奏良です。
今回このエッセイを書くにあたって、TYOのホームページに載っている過去のレポートを読み返してみたんですね。自分の初登場はいつかな、と。そうしたら、2015年8月21日のレポートに、こんな一文を見つけました。
「スマホで写真を撮っていた福島在住の小学校5年生の物知り博士に「来年も来ましょうよ」と言われ、思わず笑顔のみで答えました。」
何を隠そう、この「物知り博士」こそ僕なのです。しがない学生になった今、当時の肩書はちょっと恥ずかしいのですが、実は10年と1ヶ月前から、僕はTYOの生意気担当を張っていたんですね。そう、いま21歳の僕がTYOと出会ったのは、11歳の夏でした。
(1期、宮古島合宿が終わり、福島駅に到着。2015年8月)
当時通っていた小学校には、福島市でも珍しいオーケストラの部活動がありました。あまり覚えていないんですが、小学3年生の僕は、このぐるぐる巻かれた楽器に一目惚れしたらしいです。もちろん今でもホルンが大好きですよ。でもね、小学生ならトランペットかバイオリンを選ぶでしょう。普通。特殊な子供だったんですかね。
部活動に入って3年目、5年生の春ごろだったと思います。ある日1枚のチラシが配られました。「坂本龍一」「宮古島合宿」「オペラシティ」。まだ幼い僕の心を強く惹きつけました。母に相談して即決、迷うことなく応募。ここから僕のTYO人生が始まったんです。
TYOの活動を通じて得たものは数えきれませんが、やはり一番は、震災に対する考え方や感じ方の変化です。僕が小学校に入学する直前の3月、福島は「被災地」と呼ばれるようになりました。とはいえ、僕の周りでは人的被害はほとんどなく、小学生からすれば原発事故の影響も「外で遊んじゃダメなんだな」くらいにしか思っていませんでした。
TYOの有志演奏活動で津波被害の大きかった地域を訪れるうち、自分が知らなかった本当の被害を目の当たりにしました。「震災前は、あの辺りまで家があったんだけどなあ」そう話すご年配の女性が指すところにあるのは、二度と同じ街並みが戻ることのない場所でした。
(石巻市湊町、災害復興住宅から撮った北上川。2017年3月)
震災当時はまだ幼かったというのもありますが、震災をきっかけに生まれたオーケストラに所属しているにも関わらず、僕は震災について何も知らなかったと痛感しました。そして、これからはTYOの一員として、復興支援を掲げる団のメンバーとして、もっと深く震災について考えていこうと心に決めたのです。
災害だけでなく世の中のあらゆることについて考えるとき、実際に関わる人の立場や、さまざまな視点から物事を知ることは大事だとよく言われます。僕がそれを実践するきっかけをくれたのが、TYOでした。
もう一つ、かけがえのない経験として忘れてはならないのが、坂本龍一監督との出会いです。僕はもともと熱狂的なファンというわけではなくて、どちらかというと最初は、大河ドラマ『八重の桜』の音楽を作った人、という認識が強かったんです。勝手に音楽家は気難しいイメージを持っていたので、坂本監督も怖いんじゃないかと、小学生ながらにビクビクしていました(笑)。でも実際はそんなことなくて、むしろ和やかで親しみやすく、いい意味でイメージは瓦解しました。合宿のときなんかは、ご飯を食べるときに隣に座ってくれるんですよ。
親しみやすいだけでなく、作曲家としての視点から指導をいただけたのも斬新でした。クラシック音楽をやっていると、当たり前ですが、作曲家はみんな昔の人です。その意図は楽譜から読み取るか、指揮者の解釈に沿うのが普通です。でも、曲の作曲家本人を目の前にしての練習は、緊張はするものの、音の一つ一つの意味を教えてもらいながら演奏できる貴重な体験でした。この経験のおかげで、過去の作曲家の曲を演奏するときも、彼らの意図を最大限汲もうと思えるようになったんです。
フランスの哲学者ルソーは、著書『エミール』の中で「我々は、いわば二度生まれる。(略)」という言葉を遺しています。まさに僕はその2度目の誕生を、TYOの影響を多大に受けながら迎えました。誇張ではなく、人生の半分をTYOと過ごしてきた僕は、人生どころか人格の半分も、TYOによって構成されていると言っても過言ではありません。
僕にとってTYOは、2つ目の「家」です。TYOに団員としていられる時間はもう残り少ないですが、卒団しても、自分を生んでくれたこの家が、また誰かにとっても家になることを願いながら、TYOを見守り支えていきたいなと思います。
まとまりのない文章になってしまいましたが、最後まで読んでいただき、ありがとうございます。どうぞこれからも、東北ユースオーケストラ、もとい僕の家をよろしくお願いいたします。
結びに、こんなにも素晴らしい家をつくってくれた坂本龍一監督に、大きな感謝を。名前を覚えてもらえたことが、本当に嬉しかったです。
(1期、本番直前合宿で、坂本龍一監督と。2016年3月)
では皆さま、またいつの日か。
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