REPORT

2016.08.21

復興について団員に突っ込んで尋ねてみた。Boys and girls be ambitious! 札幌夏季合宿最終日レポート

復興について団員に突っ込んで尋ねてみた。Boys and girls be ambitious! 札幌夏季合宿最終日レポート

「合宿」の「最後の夜」たるや、少々羽目をはずすに及ばんとする気力体力なかずんば、ユースとは言うまじ。そんな故事名言辞典から引っ張ってきたか如くの物々しい一夜だったのか。一部の団員は明け方4時まで起きていたという。爽やかな8月20日、合宿最終日の朝を迎えました。

移動のこともあって、昨日のうちにコントラバスやティンパニなどの大型楽器を北海道大学のオーケストラにお返ししたこともあって、今日は合奏の練習ができません。金管楽器や木管楽器はセクションごとの練習ができても、弦楽器や打楽器はまとまって音を出せないのも不公平。今回の合宿前半はさんざん詰め込んでマーラー交響曲第一番の合奏の練習をしてきたから、午前中は自由行動にしようとなりました。

今回の合宿の手配などで尽力した事務局の「お姉さん」岡田さんの「外に出る人は前のホワイトボードに名前を書いて出て行ってね。必ずグループに大学生がいるようにね」との呼びかけに、ずらずらと名前が並びました。札幌の中心部までバスと地下鉄を乗り継いで、お土産を買いに行く人もいれば、雪印パーラーにアイスクリームを食べにいく人もいれば、北海道の海の幸をまだ食べていないと海鮮丼を求めて出かける人もいます。

わたくしも東京でのオフィスワークの日常に比べ、早寝遅起き、炭水化物と揚げ物が多い青少年的合宿飯に、反省会と称する大人の飲酒時間で過ごしてきた疲れもあるので、部屋でリオオリンピックを見ながらゴロゴロする自由を満喫しようかと思っていました。しかし、待てよ、と。ひょっとして練習場に使っていた大会議室に残っているメンバーがいるのなら、普段はなかなか聴けないことをあえてインタビューしてみよう、せっかくだから。そして、出来るだけ生声に忠実に再現してここに載せてみようと思ったのでした。結果的にちょっと冗長なレポートとなっていましますが、細かいニュアンスも含めて感じ取っていただくにはこの手法がベストかと考えました。

さっそく1人を見つけました。今年度から入った半澤悠音(はんざわはるか)さん、パーカッション担当の現在仙台の高等専門学校に通う5年生です。最初に「写真を撮らせて」と言ったら、「カメラが近すぎるぅ〜」と言いながらも、笑いながら応じてくれました。

就職は決まったの?

「はい、おかげさまで。(広島に本社がある某メーカー)に来年の4月から勤めます」

ということは、来年から広島住まいになってしまうね。

「なので、学生のうちにやりたいことをやっておきたいと思って。わたし、今までオーケストラに入ったことが無かったんです。中高は吹奏楽部だったので。それで、中高の同級生の松崎奏(まつざきかなえ)ちゃんから東北ユースオーケストラのことを聞いて、楽しそうだからやってみたいと思いました」

来年3月の演奏会のメインの曲となるマーラーの交響曲第1番は演奏してみてどうだった?

「難しかったけど、曲を覚えてちゃんと練習すれば何とかなるかなあ」

半澤さんは元々は福島のどこ? 福島市かな?

「はい、福島市の渡利が実家です。」

あらためて311のことを聴かせて欲しいんだけど、その時、どこで何をしていましたか?

「福島市の渡利中学の二年生で、上の学年の卒業式が終わった後、友達と自転車に乗っていたら大きな地震が来ました。怖かったあ」

地震のあとに原発事故が起きましたね。

「実は渡利は風向きと雨のせいで、福島市でも最も放射線量の高い中学校になってしまいました。1マイクロシーベルトを超えてました。屋外活動が制限され、それ以来いまだに学校のプールの授業は無くなりました。プール自体はまだあるんですけどね。」

お父さんお母さん、家族で逃げようとはならなかった?

「一つ年下の弟がいます。もう弟が大きかったというのと、お父さんお母さんの仕事もあるし、逃げ先のあても場所もないと、そのまま暮らしています。逃げた先で福島から越してきたと言うとひどいことを言われるとも聞きました。福島ナンバーの車には石を投げられるとか。でも引っ越した子も多いし、逆に福島第一原発に近い浜通り地区からこちらに引っ越して来た子もいますよ。事故前は“浜は原発でうるおっている”と言われていたのに、皮肉ですよね。」

震災から5年経って変わりましたか?

「線量は減ってきているけど、周りに子供がいなくなった。外で遊ぶ子を見かけなくなりましたね。」

東北ユースオーケストラの活動についてどう思う? 何をしたいかな? 何を伝えたい?

「若い子で大人を巻き込むというか、大人のお金やアイデアを引き出したいかな。東北を立て直すのは私たちの世代だと。私たちのやる気次第だと。それを音楽の力でできたらいいなと思う」

なるほどね、はい、自分はそんな大人ですよ(笑)

「福島の問題は時間のかかる問題だけど、いつまでも被災地とも言っていられない。福島はお米が美味しいんですよ。今の時期は桃。それにこれからは梨も美味しい。それが風評被害で買ってもらえないとしたら悲しい。来年から住む広島や西日本の人たちは“福島には人が住んでいないんでしょ”とか言われる。復興してきてるということも伝えたい。福島と一口に言っても、浜通り、中通り、会津と全然違う。新幹線も通っているんだから、福島の美味しいものを食べに来て欲しい」

食べて欲しいのは果物だけなの?

「わたしのお薦めは郡山の酪王カフェオレ。むっちゃ美味しいんですよ、これ」

へぇ、なに、それ教えて!

「こないだ食べたソフトクリームがやばかった」と半澤さんのスマホでネットのページや自分が食べた時の写真を見せてもらっていたら、

半澤さんを東北ユースオーケストラに誘った去年からのメンバー、松崎さんがやって来ました。あ、ちょうどよかった。松崎さんも話を聴かせて。

あらためて、松崎奏さん、福島市渡利出身で現在は栃木の医療系の大学二年生、ホルン担当です。

311の時はどこで何をしてましたか?

「中学二年生で、やはり中3の卒業式に出て、家に帰って1人でいたら地震が来た。最初はあんな大きな地震とは思わなかったけど、壁にかけていた時計が落ちてヤバイと思った。揺れている間に隣に住む友達に電話して一緒に外に出ました。携帯電話に警報が鳴るのもはじめての体験だったし」

一昨日札幌に来て台風のせいで避難準備の警報がみんなの携帯で何回も鳴ったけど怖かった?

「警報や地震が怖いとトラウマになっている人は周りに多いですね」

311の後はどう過ごしていたの?

「停電はしなかったし、水道以外は大丈夫だったから、テレビで情報は入ってきていた。」

津波にもびっくりしたと思うけど、原発事故はもっとびっくりしたでしょう?

「テレビで原発がポンと爆発したのを見て、思わず母と三つ上の姉が笑ったんですよ。あまりに非日常過ぎて」

それからはどうしたの?

「一週間ほど昼間は近所の子供たちで集まって過ごしました。自分の住んでいた地区が風向きと雨のため浜通りよりも線量が高かったので、3月末から祖父母の家のある会津と新潟にそれぞれ一週間づついました」

もっと逃げるとか、引っ越すとかは家族で話しあわなかった?

「はい、そうですね、引っ越さなかったです」

今年度の課題曲のマーラーはどうですか?

「難しいけど、新しく音大生が入ってきていて頼りになります。小学三年生からずっとホルンを吹いてきているけど、同じホルンの赤間奏良(あかまそら)くんとか、小6なのにしっかり吹いていて、すごいなあって思います。ずっと吹奏楽部で一緒だった半澤さんとこうしてまた一緒に演奏できるのもうれしいです」

東北ユースオーケストラの活動を続けていく意義って何だと思う?

「いろんな人に震災のことが忘れられていると感じます。坂本龍一 監督のような偉大な方が先頭に立って、東北のことを思い出してもらえるきっかけになればいい。今年の3月に大学の友人2人と南相馬の病院に実習に行って、飯館村にも行ったけど、2人とも除染した土を入れた黒いビニール袋をたくさん見てびっくりしてた。うちの家の周りにもいっぱいあるのに。そう思うと外からの眼で見てもらうことも大事なのかなと思います。家の周りの黒いビニール袋については、他に置くところが無いからしょうがないのかなと思ってます」

この活動はどうですか?

「楽しい。音楽ができる場所があるのがうれしい。そして、みんな東北出身だからいろんな共通点があって、友達の友達が実は友達だったりする。音楽をやっているだけでこんなに人とつながれるんだなあって」2人の同級生、どうもありがとうございました。もうちょっと若い団員の話も聴いてみたくなって、ロビーの大型テレビ の前に行きましたら、ソファに先に話題に出た小学六年生のホルンの赤間奏良くんと、パーカッションの中学三年生塘英純(つつみえいじゅん)くんが仲良く2人で一つのタブレット端末を見ています。

2人とも昨年から参加している福島市在住メンバーで、奏良くんは昨日一昨日の夜の「もっと伝えるためのワークショップ」では講師の伊藤菜衣子さんをして、「すごいな、小学生!君がinstagramのディレクターをやれ」と言わせしめた大物。英純くんも今年3月の第一回演奏会の直前合宿で坂本監督に自らの作曲スコアを見せ、演奏会で披露したファンファーレは彼の作品という将来が楽しみな逸材です。

何を見てるの?

奏良くん「作曲のアプリを見せてもらってるの」

英純くんは作曲家を目指してるんだもんね。

「そうなんです。これで曲をつくって遊んでいるんです」と話をしはじめたら、テレビでリオオリンピックの男子400m決勝がライブではじまりました。ん?! アメリカに勝ったの?? 銀メダル??すごいな。陸上短距離で銀メダルを取る日が来るなんて想像できなかったよ。世の中には案外想像できないことに満ちているものです。

ところで、今回の合宿はどうだった?

英純くん「想像以上に楽しかった」奏良くん「今年から入ってきた大学生とも仲良くなれてよかった」

確かになかなか普段は大学生と知り合う機会は無いよねえ。

奏良くん「マーラーは難しくて疲れたけど、ほぼ初見なのに大学生がフォローしてくれたからなんとかできました」

英純くんはどんな準備して合宿に臨んだの?

「楽譜のドイツ語の指示をネットで訳してきました」すごいな、イマドキの小中学生は!

ところで、震災から5年経ったよね。復興については今どう思う?

奏良くん「原発問題なんて何も終わっていないのに、風化しているよね」この後、奏良くんの口からは「原子力規制委員会」や「国の政策」などと言う言葉が発せられ、「なんでもグレーにしてしまうんですよ」と達観したように語ってくれました。

東北ユースオーケストラとしてどんなことがしたい?

英純くん「風化を防ぐために“恒久的に”(本人の発言ママです!)続けられるといい」奏良くん「いまの被災地のスライドショーや苦しんでいる人の声を伝えたい。音楽だけでは伝えられないこともあるから」

じゃあ、東北ユースオーケストラで何を伝えたい?

奏良くんは、ややためらった後、憂いを含んだ眼にあえておどけたようにして、右手につくった拳を軽く突き上げながら、ぽつり。「震災を風化させるな!」奏良くんが今回のSNS利用法ワークショップでつくった「アー写」(アーチスト写真)風はこちらです。

大会議室に戻ってみると、大学生女子二人組が座っているのが眼に入りました。できれば福島県以外の人にも話を聴きたいけどと思いつつ、

二人は仙台出身だっけ?

「いえ、福島です。福島の白河です」

白河ってどこだっけ??

「中通りの県南になります。栃木に近いです」とのこと。二人の話を聴いてみることにしました。去年から参加してくれている末留華月(すえとめかづき)さん、仙台の専門学校に通う2年生でヴィオラを担当しています。内藤美桜(ないとうみお)さん、末留さんの中高の同級生で第2期からのヴァイオリンメンバーになってくれました。現在は栃木の医大の2年生としてお医者さんを目指しています。

まずは内藤さん(写真右)から。

311はどこで何をしていましたか?

「中2でした。卒業式で演奏して家に帰ってホワイトデーのお菓子をつくろうとしていました。突然の地震でたまたま家と家業の歯医者の診察室をつなぐ廊下にいたので、棚が倒れて何から何まで全部落ちてくるし、外に出れなくなってしまって本当に怖かったです。父も母も歯医者なのですが、父のほうが診察室にいたのが幸いで、開けて出してくれました」

それからはどんな生活が続いたの?

「断水だけだったので、ずっとテレビを見ていました。父と母が仕事で2週間後にフランスに行く出張があったので、一緒についていきました。フランスや海外の人たちが“日本は大丈夫?”と心配してくれて、さらに誰にでもFUKUSHIMAが通じたのに驚きました」

原発事故についてはどう感じていたんですか?

「正直チェルノブイリよりヤバいと聞いても実感がわかなかった」

5年経ってどうなんだろう?

「白河については1年くらいで元に戻ったかなと」

続いて末留さんに311の体験から聴きます。「家にいる時に地震が起こりました。家の祖母の部屋まで行くのに一苦労で、食器棚は倒れているし、冷蔵庫も動いているし、とにかくいろんなものが倒れていました。断水がヤバかったです、1週間続きましたから。次の日にテレビで津波を知り、その後の原発事故については専門的過ぎて何が何だかわからなかったです」

放射線量の影響についてはどうでしたか?福島ではプールに入れなくなったとかさっき聴いたけど。

「放射線についてはあまりよくわからない。でも、そもそもプールには入る気にならなかったです。」ここから二人との会話となり、さらにスマホのメモをつかって発言をカジュアルに記録していたものですから、どちらが発した言葉かわからなくなってしまいましたので、インタビューした二人の言葉としてご紹介します。

東北ユースオーケストラの活動はどうですか?

「同じ体験をした人が集まっているというのがいいです。しかも楽曲を弾くほどの音楽好きという共通点があるんで。でも浜(通り地区)の人に比べてみると、もっとひどい体験をした人のことを思わざるを得ないです。浜から白河に引っ越してきた人には、お父さんが原発で働いていた人もいましたから」

今回取り組むマーラーの楽曲はどうですか?

「むっちゃ難しい!まだ全然弾けていないけど、来年には間に合わせたいです。今回の合宿で曲の流れがつかめたし、弾けるところも増えてきたのが収穫でした」

東北ユースオーケストラの活動についてはどう思いますか?

「うちらはまだ家があるからがんばれる。そういう意味で復興支援につながることをしたい。子供たちでもそういう意識を持っていることを知って欲しい。復興というと放射線量を下げることや仮設住宅が無くなることが語られがちですけど、こころの中身、精神的なことも重要だと思います。ひどい目に会った人たちを演奏を通じて勇気づけられればと思います。来年の郡山公演では震災を体験した人に聞いてもらいたいし、観てもらいたいし、私たちの活動を知って欲しい」

復興についてはと意見を尋ねると、内藤さんが自分の想いを語ってくれました。「復興の方法はいろいろあると思います。音楽でできることは、精神的に元気づけることだと思っています。お客さんが聴いて感動する演奏ができたら、この子たちは頑張ったんだなとわかってもらえたら、と」

東北ユースオーケストラでできることもいろいろありそうだね。

「子どもが復興の最前線にいるという意味は大きいはずです。実は子どもが復興で貢献できることというのは限られています。その一つが音楽だったということではないでしょうか。子どもには大人のような力や実務的な能力があるわけでもなく、例えばお医者さんのように人の健康に役立つ訳でもないです。しかし、スピリチュアルなことでは貢献できると思います。浜の子に楽器体験のワークショップをするとか、できたらいいですね。家が無くなるというのは、熊本の子もそうだと思いますが、とてもつらい体験です。それに比べて私たちは”大変だったでしょう”と言われると心苦しくなってしまいます」このあと末留さんと内藤さんは急に「震災の日は寒かったねえ」「よりによって寒かった」「4月に普通にはじまった一番最初の給食が、牛乳とバナナと魚肉ソーセージだったよね」「あれは強烈に覚えてる」そんな当時のことを語りはじめたのでした。わたくしは途中から眼が霞みはじめまして、大人の職務意識としては示しがつかぬと思いながらも、「泣けるなぁ」とつぶやかざるを得ぬほど感じ入ってしまったのでした。水分が頬を伝う前に、ロープに逃れるレスラーのごとく、札幌中心部に行っていた団員が戻りはじめてきたのをこれ幸いに、団員へのdepth interviewを終えたのでした。あらためて全員に聴いてみたいと思いました。311にどんな体験をしたの?その体験はどんなふうにあなたを変えた?これから東北ユースオーケストラでやってみたいことは?この3つの質問に尽きるのでしょうが、やはり顔と顔を合わせ、時間と環境を共有して対話することの重要性を思い知りました。こればっかりはメールのやり取りでは難しいんだなあ。

さて、立ち去る前に「練習場」を「大会議室」に戻します。年の差男女関係なく、みんなでひと仕事。お世話になった北海道線少年会館コンパスさん、どうもありがとうございました。ここは1972年の札幌オリンピックでプレスセンターだった場所らしいです。黒川紀章さん設計ともFacebookにいただいたコメントで知りました。

新千歳空港に向かう途中にベタな観光地に立ち寄りましたよ。北海道と言えばクラーク博士。その銅像が屹立する羊ヶ丘展望台です。午前中のインタビューを経たわたくしとしては、”Boys and girls be ambitious!”として東北ユースオーケストラの座右の銘にしたいですね。こちら今回の合宿参加全員51名による初の記念写真です。小雨降る中、51名の全体写真を撮るのに難儀しました。篠山紀信さんだったら、こういうのうまいんだろうなあと思いをめぐらせつつ、これをベストショットといたしました。

そして、お盆明けの週末の混雑を想定して早めに新千歳空港に入り、羽田空港組、福島空港組、仙台空港組、いわて花巻空港組に分かれて荷物を預けます。これがまたエアラインは別々な上に、楽器の運搬も含まれるので、地味に大変なんです・・・。作業を終えて、もう一度全員が空港内のポケモンショップ前に集まって、解散式をしました。以下、わたくしの発言のポイントとしては、

・おかげさまで台風の影響を受けた初日以外は順調に事故なく終えることができました。 しかし、「家に帰るまでが遠足です」(昨年の夏合宿でも言いました)

・今回挑戦するマーラーの1番は難しいですが、各自練習して9月の合同練習で会いましょう。

・宮古島合宿に続き恒例の(2回目からは「恒例」です)関東一本締めで「お疲れさまでした!」

いわて花巻空港に帰る3名を引率する担当のわたくしは、そんなに明るくないゴルフに例えると、札幌から羽田、電車2回乗り継いで帰宅するパー4のホールで、いきなりドライバーをチョロして花巻空港、そしてタクシーで新花巻駅からの東京駅、さらに電車2回乗り継いで帰宅するダブルボギー気分なのですが、ここは岩手組にインタビューするチャンスだと思って道中に話を聞きました。

最年少の小学5年生北川聖彩(きたがわさとい)さん、ヴァイオリン担当は、

「今回はじめてのことをたくさん経験できてよかった」という感想でした。

えっ、何?

「はじめて家族から離れて飛行機に乗った」「はじめて自動販売機で一人でお金を使って自分で選んだ」などなど。

それはいい経験ができた!地元の空港に着くと、手荷物受け取りの場所から出口で待っているご家族の姿がガラス越しに見えます。

北川さん「あ、お母さん、髪を切っている」

大きなチューバを転がしている岩花くんちは、車で2時間以上かかる宮古からご両親がお出迎え。帰りの機内で隣に座った岩花くんから、わたくしの一つ年上のお父さんが実は宮古の消防士さんで、311の時は消防署の2階にいた岩花さんの膝まで水が来て、それから1週間は仕事に打ち込まれたお父さんとは連絡が取れず、とてもお父さんのことを心配したとのエピソードを聴いていたものですから、思わずこちらが「お出迎えありがとうございます」という言葉にも力が入ります。

「まぁ、岩花くん、背が伸びたねえ」と声をかけられたのは、遠藤くんのお母さん。盛岡の高校三年生遠藤寛人くんはトランペット担当で、実に頼りになる「お兄さん」です。「去年の宮古島とは違った楽しさがあって、とてもいい合宿でした」と感想を語ってくれました。お母さんから「いつもレポートを楽しみにしています。ありがとうございます。昨日、新しい田中宏和さんに会われてよかったですね」と声をかけられました。わっ、「実は今朝、室蘭在住の田中宏和さんから連絡をいただいて、さっき千歳空港で会ってきたんです」「ということは、112人目の田中宏和さんですね」なんとお詳しい!行きがかり上、室蘭で焼肉屋さんの店長をされている「室蘭の田中宏和さん」とのツーショットも掲載しておきます。

遠藤さんには有難いことに空港から新花巻駅まで車でお送りいただきました。「お話したかったんです」と言っていただいて、車中ほんの15分ほどの間にチベット仏教まで出る話題の広がりで、「この子、受験生なのに、これからまた市民吹奏楽団の練習なんですよ」という遠藤くん親子に手を振って別れました。各空港の解散の記録写真を。まずは、仙台空港。

福島空港がなぜウルトラマンなのかご興味の向きはご検索を〜。

そして、羽田空港。

こうして第2期の夏季合宿は無事終えることができました。ご協力いただいたみなさま、ほんとうにありがとうございました。いただいたご厚情にはいい演奏でお返しできたらと思います。さらには、演奏だけでない、東北ユースオーケストラの活動の広がりにもご期待いただければと思います。
今回ご縁があって訪れた花巻が生んだ宮沢賢治の詩『生徒諸君に寄せる』から二箇所を引いて締めくくりたいと思います。

「むしろ諸君よ 更にあらたな正しい時代をつくれ」

「ああ諸君はいま この颯爽たる諸君の未来圏から吹いて来る 透明な風を感じないのか」

団員のみなさんは来月9月の合同練習で元気にお会いしましょう!引き続き東北ユースオーケストラへのご支援をよろしくお願いします。