REPORT

2018.07.02

7月の第3回合同練習会のレポートです。

7月の第3回合同練習会のレポートです。


梅雨が明け最高気温35度の福島市で7月1日(日)に合同練習会を行いました。東京に比べて気温も高く、蒸し暑いので、体感的には「だいぶん暑い」1日でした。

練習前にパートリーダーが集まって、今年度の有志演奏会、それを実現するためのクラウドファンディングについて意見聴取する確認がありました。

クラウドファンディング係の福島県白河市出身で第一期から参加してくれている荒川唯さん(コントラバス)から方針の説明がありました。みなさんからのご理解ご支援を受けられるあり方についてしっかり議論し、よい取り組みにしてくれるようにと事務局はサポート役です。

そして、今日の練習のオリエンテーション。まずは先月ドイツ、スペイン、イギリスとヨーロッパを転々と公演された坂本龍一監督から届いたメッセージを読み上げました。今年度はメインの楽曲であるブラームスの交響曲第2番を通じて、作曲家の思考を読み解き、楽曲全体の構造を学んで欲しいという期待のこもった内容でした。ご多忙にも関わらず遠隔指導をありがとうございます。

諸伝達事項を事務局の岡田直美さんから。

今日は指揮の栁澤寿男さん、ブラームスの交響曲第2番の第一楽章から練習のスタートです。

休憩時間には今年の夏合宿のしおりを配って、参加者対象の説明会です。

初年度から沖縄県宮古島市、北海道札幌市、沖縄県石垣島市と続いた夏合宿。今年はまた北海道か沖縄かという期待を裏切り、長野県は竜王で行います。

今年は立ち上げ以来ご協力いただいている東京フィルハーモニー交響楽団の方々にもお越しいただきパート練習を行ったりと、「ミュージック・キャンプ」のコンセプトでより音楽活動の充実を図ることができればと考えています。

そして、長野県と言えば、指揮の栁澤寿男さんの出身でもあります。

栁澤さん、磯貝雛子キャプテンと田嶋詩織さんのともにホルンの今は東京在住の音大生とスイーツ談義。

かと思えば、「あれ、もう中学生になったの?」と、出会った時は小学四年生だった盛岡の北川聖彩さん(ヴァイオリン)の数学の宿題にツッコミを入れていらっしゃる。

毎度のことながらこの年齢層のワイドレンジの幅広さに見事に対応していただき深謝でございます。

そして、のびのび昼休み風景。

この写真左端の福島県二本松市の中学生、石川慧花さん(フルート)は、なんと自分のお小遣いで団員への差し入れを持って来てくれました。

名古屋発祥のコメダ珈琲店のキャンディがお気に入りなんだそうです。どうもありがとう。そんなに気を使わず、お小遣いは自分のために使ってね。

いつもながらのジベタリアンランチ族も。

そんな思い思いの昼休みに、一人デスクに資料を広げ、書類に書き込みをしている団員を発見しました。

「わたしをそっとしておいてください」というシグナルを全身で発信しているにも関わらず、声をかけたくなりまして、「何してんの?」

フルートの河野史歩さん、いま資格を取るためにいわき市の保健福祉センターで3週間の実習中の2週目とのこと。河野さんと言えば、今年の3月の東京オペラシティコンサートホールでの演奏会直前合宿の初日の練習早々にシンバルで額を切って流血した団員を脈を取りながら介抱し、救急隊員に引き継いでくれたファインプレイが思い出されます。福島県立医大看護学部4年生として、保健師と看護師の資格を両方を取ることを目指しています。今は「大変なんだけど、その中に楽しさを見つけられます。入院している人や地域の人たちの悩みを聞くことにやりがいを感じています」とのこと。邪魔してはいけないかなと思いつつも、直感的に「インタビューしていいかな?」と尋ねたら、「あ、うれしいです。ありがとうございます」とのこと。昼ごはんを食べ終わったタイミングで話を聴くことにしました。

いつもみんなにする質問をしますね。311は何をしていましたか?

出身のいわき市の中学の卒業式で、わたしは中2でした。午前中で家に帰って、午後はこたつでリラックスしてテレビのドラマをつけながら、ゲームをしていました。母と2人でいたら今までに体験したことが無い大きな揺れが来ました。家が築50年も経つ平屋だったので、ここは危険だからと家から飛び出しました。隣が中学校でプールの水が流れてきて、家のほうに流れてきていました。実は家の目の前は徒歩2分で海水浴場だったんです。揺れでは被害は無かったけど、付けっぱなしにしていたテレビを見たらいつもの「津波注意報」ではなく、はじめての「大津波警報」にびっくりしました。小学校の頃から津波が来たら高台に逃げる避難訓練はしていたので、近くの高台の稲荷神社にお母さんと逃げました。凄い引潮のあとに波が来ました。今まで見たことの無い風景。大雨でもなく。本当に怖くて、本当に波が来てるのが衝撃的で。高台に逃げて来た大人の膝くらいにまで波が来ていました。波が引いてから自分の家を見て確認したいと思ったけどその日は近くのお寺に泊まりました。
翌日、家を見に行きました。家の中は砂だらけ。今までと全然違う家の姿に呆然としました。道路のアスファルトがはがれ、ガラスを割って海水が入ってきたようです。だらしなく床に置いていた制服や鞄は流されました。家電などは全部使えない状態で、自分の家は「大規模半壊」となりました。母と家の近所を回った時に、近所の方の家の玄関で倒れている人がいました。亡くなっていました。

こらえきれない感情を押しとどめようとしている河野さんに「つらい思い出を聞いてごめんね。もうちょっと話を聞いていいかな?」と確認すると、「話を聞いてもらえてうれしいです」と返してくれました。

311の体験は河野さんをどのように変えましたか?

当日避難したお寺に1週間いて、そのあと原発事故のために母と東京で暮らす兄の大学のアパートで3週間くらい過ごしました。4月10日くらいからいわき市で学校が再開するというので戻ったのですが、その直後いわき市で震度6弱の余震がありました。その頃には学校でもみんな余震の震度を当てあいっこしていました。今から思うと異常ですね。それから父親の社宅に引っ越して数年して、沿岸地区は家を建てられないところ、うちの家はギリギリ立て直せるエリアだったので、また津波が来てもいいようにと、小さく二階建の家を建てました。それが今の実家です。

中2の思春期、反抗期だったわたしは、突然自分の家に住めない状況になり、、いろんな人に助けられ、支えられて生きているのだなと社会の見方が変わりました。田舎の(福島の)浜(通り地区)の子供は荒れるとよく言われます。そのままだったらグレていたと思います。実は311で学校の避難所で看護活動に来られた、キビキビとした看護師の女性を見てかっこいいなと思って、今の志望になりました。311が無ければ、看護師保健師になろうとは思わなかったでしょうね。

中学から吹奏楽部に入り、その時に買ってもらったフルートをいまだに使っています。楽器は学校に置いていたので、幸い津波で流されることは無かったんです。震災の後はラジオの音楽によって元気づけられました。音楽は落ち込んだ時の活力になるんだなと。

これから東北ユースオーケストトラでどんな活動をしたいですか?

震災を経験した人たち、ある程度月日が経って被災した子どもたちが、単に何事も無く過ごしているのではなく、三県のいろんな年代の人が思いを持って参加して、音楽によって震災を風化させないぞ、負けずに元気に過ごしてるんだよという発信を日本や世界にしていけたらと思っています。

河野さん、実習最中でテンパっているところ話しづらい話をしてくれてどうもありがとう。逆に「話をさせてもらってありがとうございます。」と言ってもらってこちらが救われました。

午後は引き続き「ブラ2」ことブラームスの交響曲第2番の練習です。

栁澤さんは、坂本監督のメッセージを受けて、「第一主題」「転調」「第二主題」「コデッタ」「コーダ」などなど、ソナタ形式に沿ってブラームスが構築した楽曲の構造解説をされました。

午前中の第1楽章の練習に続き、難しい第2楽章の練習へ。まずはチェロの重点指導を。

「いろんな人生経験をしないと深みのある音色が出ない旋律だけれど」と言いながら、若者たちを丁寧にディレクションされました。

第2楽章のあとは、第4楽章と、とにかく「ブラ2」漬けの熱い1日が過ぎていきました。

次回の8月の夏合宿@信州のあとは9月2日まで合同練習会は間が空いてしまいます。夏合宿に参加できない団員のみなさんにおかれましては、個人練習をよろしくお願いしますよ!

このページをご覧のみなさま、引き続き東北ユースオーケストラへのご支援をどうぞよろしくお願いします。