3月13日(日)に石巻の仮設住宅でミニコンサートを行いました。
いきなりクイズです。上の写真の11名の演奏者のコスチュームに見られる法則性は何でしょうか?
東北ユースオーケストラは、311を宮城岩手福島の三県で体験した小学四年生から大学四年生のみが団員の条件で、申し込みの書類審査やオーディションも無く集まった、現在105名です。団員の中には津波を経験していないのに「被災地を代表」して東京で演奏していいのか、葛藤があったようです。今回NHK総合テレビ「シブ5時」の取材がきっかけで石巻を三人の大学生が訪れ、石巻は万石浦の仮設住宅にお住まいの方々の孤独な想いを伺って、東北ユースオーケストラ有志11名によるミニコンサートの自主開催が決まりました。
こちらの住宅でもひさびさの慰問演奏だったようで、トランペットの大学生中村くんによるチラシも貼られていました。もちろん当日のパンフレットも大学生団員楢山さんお手製です。
オープニングの「あまちゃんのテーマ」にはじまり、約40名弱の観客のみなさんの好みや気持ちを思い描き、「上を向いて歩こう」「ふるさと」「まつり」「君といつまでも」など大学生が中心となって選曲しました。一番盛り上がったのが「リンゴの唄」と言えば、来られた方々をご想像いただけるでしょうか。今月26日の東京オペラシティでの晴れ舞台、第一回演奏会の演目でもあるオケの代表・監督の坂本龍一さんの映画「母と暮せば」からの作品「レクイエム」も静かなに奏でられました。
仙台に住む小学生団員の福澄くん(トロンボーン)もお父さんの車に乗せてもらって、わざわざ応援に来てくれました。
さすが仙台の子は楽天イーグルスのキャップをかぶって、やってくるなりお菓子の入った白い紙袋を、今回のミニコンサートのリーダー、同じ仙台の大学生中村くん(トランペット)に差し出し、何と言ったと思います。
「はい、これ、押し入れ!」
一同ぽかーんとした後、大爆笑ですよ。「あ、間違えた!」だって。
これから人に差し入れする時は「押し入れ!」と言うようにします。
コンサートのほうは途中、「君といつまでも」にあわせてホルンの大学生佐藤啓太くんが花をプレゼントする芝居がかった演出もありました。団員にはなんと佐藤姓が7名もいます。さすが東北ですね。残念ながら、同姓同名はいません。そして、アンコールも2回。「365歩のマーチ」と確かもう一曲やって、最後にまた「あまちゃんのテーマ」で終わりました。
最後は大きな拍手とともに「楽しかったー。」「長生きしないと」と言っていただけました。
演奏後は住民の方々と懇親会をしました。
ここで冒頭のクイズに戻ります。この日の演奏にあたっては、場を和ませようと、弦楽器は猫耳、管楽器はうさぎ耳をつけました。これが思わぬ役に立ったんですね。
あちらこちらで動物耳をつけたおじいちゃんおばあちゃんが現れ、終始和やかな雰囲気のもと、津波の体験や仮設住宅暮らしのお話をお聞きしたのでした。さらには逆に団員たちに「本番がんばってね」と励まされたり。慰問に来たつもりが反対に励ましてもらえたのです。
もともと東北ユースオーケストラは、震災直後の学校の楽器修復プロジェクトこどもの音楽再生基金が前身の活動でした。
あらためて5年の年月を経ると、時間の経過により求められることは違うなと感じます。「被災地」とひとくくりにも語りにくくなっていて、地域ごとの、さらに究めるとひとりひとりの個別の事情に応じた適切な支援とは何かがますます問われているとも言えます。
団員たちが抱えていた、自分たちが「被災地を代表」していいのかというジレンマについては、では被害の多寡によって「被災地を代表」できる資格や責任があるのかということになります。今回実感したのは、震災を経て5年経っても、孤独な想い、つらい日常を送っている人たちがいること自体に思いを寄せることがてきれば、それだけでもいいのではないか。もちろん団員の中にもそのような悩みにさいなまれている人もいて、同じ音楽仲間として一緒に演奏することができるならば、それでいいのではないか。
そんなことを考えると、音楽とはいいものだなあと感じたのでした。音によって他者と時間を共有する表現活動だからです。声高なメッセージが無くとも、「楽しかったー」と言ってもらえる。言葉はもちろん意思疎通の便利なツールではありますが、時にディスコミュニケーションを生み出す、余計な意味をまといがちです。音楽は演奏を通じて、何かに気づいてもらったり、何かを思い出したり、何らかの感情をともにすることができる。「被災地を忘れないで」というメッセージ抜きにして、団員には自信を持って自分たちの精一杯の演奏を、どこかにいる誰かを想いながらしてもらえれば、それでいいと思えました。
自分自身はと言えば、こどもの音楽再生基金の立ち上げにはじまり、この東北ユースオーケストラの企画運営の事務局の人です。この活動が何の役に立っているのか、これはいいことなんだか、おせっかいなのか、正直よくわからないまま、あえて言えば楽しいからやっているということでしょうか。日頃からよく「楽しそうに仕事をしている」と言われがちな我が身ですが、楽な仕事などどこにもなく、「仕事を楽しいものにする努力熱心ですね」と言われたいものだと常に思います。実際この仕事も面倒なこと、厄介なことだらけです。
先月の福島での合同練習会に取材にJ-WAVEの方々が来られました。質問を受けているうちに構成作家の方がいきなり「この取り組みを田中宏和さんがやってるのが面白いです。田中宏和運動と東北ユースオーケストラは似てませんか?」と言われてびっくりしました。はい、わたくしは田中宏和という名前を持つ者なのですが、ひょんなことから22年前に自分と同じ名前の人に興味を持ち、現在は109人の別々の田中宏和さんとお会いしたことがあり、同姓同名集会のギネス記録にチャレンジしようとしています。もちろん趣味です、それが仕事ではありません。
今回取材に来てくれた人が前に田中宏和運動でJ-WAVEの番組に出演した時のご担当だったのですね。確かに「田中宏和という名前が一緒というだけ」、「311を経験した音楽演奏する子供たちというだけ」が、それぞれの組織の成り立ちです。人はちょっとしたきっかけさえあれば、つながれるし、思わぬ協力や助け合いができる。人の縁、偶然か必然かわからない巡り合わせへの信頼というのが自分の根っこにあるのかもしれない。なるほどなと思いました。もちろん人と人とは時に反目したり、いがみあったり、争ったりもするわけですが、自分はそうでは無い明るい人間関係の創造への執心が強いのだなと。それはそれで、どうなんだかという話ではありますが。
出会ってたった2時間ばかりであっても、我々のバスが見えなくなるまで見送ってくださったみなさんに逆に勇気をいただきました。これで子供たちは自信を持って東京のオペラシティの檜舞台で力強くも機微のある演奏ができると思います。
石巻からの帰りに仙台に向かうバスから見える更地の数々を眺めながら、震災で失われた人、失われたもの、失われたことを感じながらも、震災をきっかけに生まれたものもあるだろう、その一つに東北ユースオーケストラがあって、たとえば東北楽天イーグルスのように、東北の人たちが自慢できるジュニアオーケストラになれれば。東北ユースオーケストラがもたらす「楽しかったー」が、あちらこちらに、世界へと広がっていければ。大仰に構えず、臆病に自信を持って東北ユースオーケストラを続けていけばいいのかなと感じました。
仮設住宅に伺ったことがあるのは震災から半年後の一回だけだったので、ついつい集会所の中の様子も気になりました。
もちろん世の中にはメッセージ性の強い音楽もあり、そういう歌い手の方々がここを訪れていらっしゃていたことが想像できます。こちらの住宅に空き部屋が増え、和装でポスターの方達の足も遠のく、やはり5年の歳月ということなのでしょう。
参加した団員と事務局で記念撮影をしました。福澄くんの隣りのわたくしの冬の一張羅、気仙沼ニッティングのセーターが微妙にズレてますね。今後の着こなしには注意します。
GoogleAIに人間の解説不可能な三連敗をした囲碁のプロ棋士がようやく一矢報いたというアイロニーたっぷりのニュースに、人間だけができることとは何か、この活動も近い将来アンドロイドが行うのだろうかと深い感慨を抱きつつ更新しました。引き続き東北ユースオーケストラへの応援ご支援をよろしくお願いします。