REPORT

2018.01.22

1月の合同練習会@福島市の1日目

1月の合同練習会@福島市の1日目

1月20日(土)、今年初めての合同練習会を福島市で行いました。3月21日の東京公演まであと2ヶ月ということで二日連続で本番の演目を練習しました。もちろん指揮の栁澤敏男さんに二日ともご指導いただきます。

しかしながら、この日の朝は福島大学のオーケストラの定期公演会と福島県の高校の統一模擬試験が重なり、さみしい出席状況・・・。とはいえ、演奏会でのメインの楽曲の一つであるドビュッシー『海』を終日ていねいに、細かくさらっていきました。
この二日間は休憩の時間をつかってできるだけ団員にインタビューしてみました。ということで、TYO団員は語る2018、前編です。
まずは昼休み、仲良くテーブルで向かい合って食事をしている第三期生の大学一年生の二人の間に座って話を聞いてみることにしました。冒頭の写真の二人、左の渡邉晴香さん(コントラバス)、右の栗花朱音さん(チェロ)の福島高校で同じ管弦楽部に入っていた同級生コンビです。
まずは311の体験を渡邉さんから聞きます。

ちょうど福島市の小学校の体育館で卒業式の練習をしていました。練習でみんながちゃんとしないものだから、先生が激昂しやすい人で椅子をガーンと蹴った瞬間に大きく揺れて、何だろうと思ったら地震でした。普段はなかなか重くて開けにくい体育館の鉄の扉が揺れとともに動いてガンガン音を立てていて、これは只事ではないなと思いました。すぐに校庭に避難したけど、雪が降り、雷が鳴る寒い日で、先生だけが校舎に戻り2階からみんなのジャンパーやコートを下に投げてくれて、それを着て凍えながら、暗くなる寸前に親が迎えに来てくれたことを覚えています。結局、卒業式は出来なかった。福島ではどこも卒業式ができなかったんじゃないかな?

続いて、栗花さんの311の体験です。

わたしは福島県桑折町の出身で、やはり卒業式はできなかったです。小学校の体育館の上にある多目的ホールで授業を受けていたら地震が起きて、ジェットコースターに乗っているみたいに揺れて怖かったです。校庭に出て、寒い外で二時間くらい待っていたら親が迎えに来てくれて一緒に帰りました。でも家の瓦屋根が崩れていたり、部屋の中も散らかっていたりしたので、家族で小学校の体育館に戻って避難しました。停電している上に余震で寝れず、お腹が空いた時に地元の人が配ってくれたコンビニのおにぎり1個が美味しかった。一週間はライフラインが止まっていたので、あまりに寒い時は車の中でエンジンをかけて暖房つけて過ごしていました。
震災直後から県外に出ると嫌な思いをするから出て行かないほうがいいと言われました。福島ナンバーの車だと生卵をぶつけられたり、福島から来たと言うと意地悪されたりするから。今はもう無くなってきたと思いますが。

渡邉さんもその話に応じて、

震災から1年後に仙台空港に行った時にも、福島ナンバーだからいたずらされないようにしないとと言っていました。
震災の後に県外に出て行った人もいるし、不安はあったけど、逆に被害の多かった浜通りの人たちは福島市に引っ越してくるし、大丈夫なのかなと思っていました。福島でも内陸だと浜の人に比べて被害が少ないから、県外の人に大変だったでしょうと言われると複雑な思いがします。

渡邉さんはこれから東北ユースオーケストラを通じてどんな活動がしたいですか?

高校時代から憧れていたので、東北ユースオーケストラに入れてうれしいです。被災三県の団員の演奏を聴いてもらって、自分たちは自分たちらしく生きていることを伝えられたらと思います。みんな受けた被害の程度の差はあるけれど、同じ体験を共有し、分かり合えるところが、東北ユースオーケストラの良いところだと思います。

栗花さんは?

いまだに海は怖いです。海には行っていません。だから今回、ドビュッシーの『海』を演奏することになって、「あ、そうか、海か」と思いました。東北ユースオーケストラだからこそ『海』を演奏する意味があるのかなと思っています。
将来は復興に携わる仕事をしたいです。できれば福島県内の公務員として働きたいです。だから自由な時間がある学生のうちに東北ユースオーケストラの活動を通じて、いろんな経験をした人がいることを知りたいです。大震災を忘れないために、これから生まれてくる世代のためにも、大変なことがあったことを伝えていきたいです。

なんと立派な発言なのでしょう。こんな志を抱いた団員を今期新たに迎え入れることができて良かったです。この同級生コンビでもう一度、仲良くツーショットを撮りました。初めてのオペラシティのコンサートホールの大舞台、かんばって!

もちろんいつも笑っているのではなく、練習には真剣な表情で取り組んでいます。という二人が写り込んだ一枚も。

この日も差し入れが届きました。福島県白河市の中学2年生海津洸太くん(トロンボーン)のお母様より地元のお菓子をいただきました。

お気遣い、誠にありがとうございました!

この日はうれしい発表がありました。団員の自主的な有志活動で被災地での演奏会を行うための交通費などの実費を募るクラウドファンディングが期間中に目標金額の15万円を突破することができました。こちらクラウドファンディングチームです。

右から本田愛賀さん(ヴァイオリン)、リーダーの橋本果林さん(コントラバス)、大波さくらさん(トロンボーン)、佐藤ひかりさん(ヴィオラ)です。
この中の大波さくらさん(現在は都内の大学2年生)に話を聞いてみました。
311はどこで体験しましたか?

その時は中2で福島県伊達市の家にいました。父母と弟妹の家族五人暮らしだったのですが、卒業式の日だったから早く帰って、ちょうどお母さんが東京に2週間出張している最終日の金曜日でした。お母さんから家のことを任されていたので、家で一人お皿洗ったり、洗濯物を片付けていた時に地震がきました。揺れは怖かったけど、「せっかく片付けた部屋が散らかって、親に怒られるなあ、やばいなあ、ちゃんとしないといけないな」と冷静に思っていました。結局、母親は1週間くらい帰って来られなかったです。
家にいた4人の家族で避難所に行ったけども、騒がしく明るく寝られないと、また家に帰りました。家のほうは、水、電気が止まって、ガスは大丈夫だったから、父が料理してくれて皿にラップを巻いて食べていたから食べ物には困らなかったです。情報はラジオとガラケーで情報を得ていました。原発事故のことは知らず、ずっと昼間は外で遊んでいたんです。2、3日経ってから電気の通っていた川向こうの学校に行って、ガラケーの充電に行って知りました。その後、1週間くらいで電気が点いて詳しく知るようになりました。水は困りました。川に水汲みに行ったり、井戸水の出る家からもらったりして何とかしのぎました。

311から生活はどんなふうに変わりましたか?

最初は家の片付けをしたりしたものの、中学生でやれることはそんなに無いから、外をブラブラして、今から思うと呑気に外で遊んだりしていました。そのうち避難所に浜通りから逃げて来た人が来られるようになり、避難してきた子供と遊んだり、おにぎりを配ったりボランティアをしました。このボランティアをしたことが大きかったです。世の中に対する関心が広がりました。
そして、さまざまな復興支援の活動を受けているうちに、自分でもできるといいなと思いはじめました。所属していたFTVジュニアオーケストラにもたくさんの復興企画が来て、実際いろんなところに行きました。特に印象に残っているのは、ピースボートの企画でした。船でアメリカのロサンゼルスに渡り、メキシコからベネズエラを訪れ、エルシステマ(社会変革を目指した音楽教育プログラムの運営組織)のジュニアオケと交流し、大きな影響を受けました。そのきっかけでエルシステマのことをもっと知りたいと思うようになり、大学でスペイン語を勉強することにしたんです。

東北ユースオーケストラの活動はどうですか?

2013年のルツェルン・フェスティバルARKNOVA松島の東北ユースオーケストラの最初の立ち上げの時に舞台にいました。いろんなオケの人たちと一緒に演奏できるのは楽しかった。また坂本龍一さんはピアノ上手だな、オーラのある人だと思いました。これだけの企画が実現できる人は凄いなと。
新たな東北ユースオーケストラのメンバー募集の時は浪人していたので、無事大学入学できて第二期から入れました。
このオケは、いろんな地域、いろんな年代の人が集まっていて楽しいです。実は高校三年まで海のほうの被災地には行かなかったんです。瓦礫とか見るのが嫌だったから。でもスタディツアーで南相馬に行って考えが変わりました。今では被災地での有志演奏が大事だと思っています。
レベルの高い音楽は大事だけども、有志演奏で感じたことを発信することは同じくらい大事だと思います。演奏技術だけでなく、音楽の力を伝えることです。人を結びつけたり、人を元気にさせたりする音楽の力です。特に人と出会い、一緒に練習して、人々を集めて演奏を聞いてもらう、人を結びつける力です。
生の音のならではの良さがあります。その生の音の力で、音楽の力を伝える。そういう人がここで育ってくれたらと思います。ちゃんとした立派なホールだけでなく、被災地での有志演奏や慰問演奏をする意義がそこにあると思います。

将来の夢は?

エルシステマのような場を日本につくりたいです。子供から大人まで音楽を学び、楽しく楽器を演奏できる場です。ベネズエラのエルシステマには「武器の代わりに楽器を取って」というキャッチフレーズがあって、とても好きです。日本の場合は、心の問題とか、若者の自殺防止に役立つことなのかもしれません。できれば福島でそういう場をつくりたいです。

またしても崇高な志に接し、「引率の先生」役はただこうべを垂れる他ありません。楽器を持つ大波さんの凛々しい写真を。

有志による演奏会のためのクラウドファンディングは27日まで実施中です。今回は返礼品がない、ご寄付をいただくスタイルになっておりますが、ご支援をどうぞよろしくお願いします。ご案内ページはこちらです↓

https://japangiving.jp/campaigns/33745

とにかくこの日の練習はドビュッシーの『海』のみを練習しました。栁澤さんは3楽章からなるトータル20分ほどの曲を小さく切り刻んで細かく指示を出されました。

途中には弦楽器パートだけ。管楽器と打楽器パートだけの練習もありました。こちらは管と打楽器のみでの練習シーン。

さらにもう一人にインタビューしました。今期からの第三期生で、福島県いわき市出身で京都の大学に進学しながら、毎月毎回京都から深夜バスに乗って練習に駆けつけてくれている見上げた大学2年生、西丸聡くん(コントラバス)になぜそこまでして参加したいのか、10分間の短い休憩時間の間に聞きました。

この爽やかな笑顔の好青年がはきはきと答えてくれました。

311は何をしていましたか?

中1で卒業式の日でした。だから早めに家に帰って、友達の家で遊んでいました。実家におばあちゃん一人だったので心配になって急いで戻りました。家のすぐ近くまで原発事故の避難区域になったから、2日3日して家族六人で避難所に行き、1週間後、おばあちゃんだけ残して、東京のいとこの家に避難して、結局兄弟三人だけで1ヶ月滞在しました。

どうして東北ユースオーケストラに入ったの?

ずっと吹奏楽をやっていたけども、大学の吹奏楽だとコントラバスの出番はあまりなく、オーケストラに入りたいなと思っていた。部活の応援団吹奏楽部の活動が落ち着いてきたので、被災地の力になれるならとの思いで入りました。このオーケストラの活動を関西にも広げたいし、存在を知って欲しいです。

東北ユースオーケストラの活動はどうですか?

みんな被害を受けているのに、前向きに、地元のためにしていることが伝わってくる。自分がその中にいること自体に感動しています。

ありがとう。わたくしもみんなのお話を聞いて感動しています。西丸くんは東北ユースオーケストラ関西本部長として活躍して欲しいな。そのうち関西でも演奏会したいですね。わたくしの地元でもある京都公演が実現できないかな。(京都公演実現を後押ししていただけるスポンサーを小声で大募集します!)

さて『海』三昧の1日も終わり、明日の練習に備え帰路につきます。こちらは福島市の公民館に泊まる男子チーム。

岩手県、宮城県の中学生から大学生まで、あ、今は大学が山形県の団員も含む、いかにも東北ユースオーケストラ的な人的組み合わせですね。

明日はもう一つのメインの楽曲であるストラビンスキー『火の鳥(1919年版)』を練習するのかな。初日の練習、おつかれさまでした!